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テレビ版「剣客商売」批判について

小笠原徳彦 '99.01.03


なんだかんだで8ヶ月以上のご無沙汰になってしまいました。いやあ、いろいろと多忙でして (^^;)

などと言い訳してるうちに年が明けてしまったので、時間が取れた今、ひとまずストックネタを吐き出すことにしましょう。


フジテレビ系列で「剣客商売」がドラマ化され、先ごろ放映が終わりました。1年の間アメリカに行っていたこともありまだ見ていないのですが、各方面で批評というか感想を見ると、発言が妙に歯切れが悪いのが気になります。原作ファン曰く「原作とあまりにも違う……が、ドラマはドラマとして評価すべきなのかも」。そして擁護派は「ドラマはドラマとして面白いじゃないか」。

確かにそれはあるかも知れません。原作小説よりも遥かに優れている映画なども枚挙に暇はありませんし、特に娯楽時代劇などは、原作を離れて自由なドラマ作りをした結果、庶民のヒーローとなったものは数多くあります。

ですが、一池波ファンとしては割り切れないものを感じます。もし「原作とあまりにも違う」のが真実だとするならば、それは池波正太郎自身がもっとも嫌ったことではないかと思います。「似ても似つかないものに名前を使われて原作料として金を貰うなんてことはできない」と、なにかのエッセイでお書きになられていたのを記憶しています。もともと脚本家からスタートした池波先生だけに、「よきにはからえ」式のドラマ化というのはプライドも許さなかったでしょうし、「俺が目を通したほうがいいものができる」という自信もあったに違いありません。

はっきり言って、同じくフジテレビの「鬼平犯科帳」も、池波正太郎が没した後、クォリティチェックが甘くなって、変に媚びたシナリオが乱発されてから急速につまらなくなったと思います(実際、「猫どの」がしたり顔で料理の解釈をするようなシナリオが多く書かれるようになってから、私は鬼平をぜんぜん見ていません)。「剣客」も、池波先生が生きている間に、池波先生の目を通ったシナリオで見たかった、というのが正直な思いです。ドラマ版剣客を批判する声のなかに、このような思いを現したものが少ないのが不思議です。

繰り返しますが、私はドラマ版「剣客」を見たわけではありませんので、これは「ドラマ剣客批判」ではありません。ただ、前述したような歯切れの悪い感想は、Shadowrun の SNE における展開に対する擁護と同じように感じます。変に対立をあおるつもりはないですが、ドラマファンの気持ちを慮って批判の矛先を収めることは、せっかく「鬼平」で再生された本格時代小説の忠実な再現という目を潰すことにつながるでしょう。これは大きな損失であると思っています。SNE の Shadowrun の展開が、原作の「精神」、というものを無視したものであると感じ、SNE 版のファンに対してオリジナルの展開のよさを紹介し、SNE の仕事に NO を突きつけた人は数多くいます。時代劇でも、なすべきことは同じではないでしょうか。

もし、ドラマ版「剣客」が小説の「剣客」と違うと感じ、なおかつ「剣客」という作品を愛するのならば、公の場で「『剣客』の魅力は(ドラマでは再現できていない)ここにある」「違うものに『剣客』の名を冠するな」と堂々というのが筋ではないかと思います。

私自身のドラマ版「剣客」についての感想は、ビデオなどで見た後、別途書きたいと思います。


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