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第四章 剣術以外の武芸の諸流派


この章では、剣術を除く流派の内、「秘伝の声」で 採用されている槍術、柔術(捕縛術)、弓術について、著名な流派を 簡単に紹介します。

本サプリメント「日本剣豪譚〈演遊編〉」はあくまでも剣術を中心にしているので、 取り上げる流派は各武芸に対して一つ程度とさせていただきます。 流派を取り上げるに当たってはほとんど無作為(すなわち私の好み)ですし、 なんといっても資料不足で、あまり詳しい説明はできませんが、 その点ご了承ください。

槍術 - 宝蔵院流

開祖

宝蔵院胤栄

成立

戦国時代

歴史・概要

槍の中でも「鎌槍(かまやり)」と呼ばれる、刃に大きな鎌が付いた槍を扱う流派です。 宝蔵院流の鎌は、両端がカーブしているだけで横にほぼまっすぐなので、 別に十文字槍とも称します。

奈良・宝蔵院の胤栄という僧が開きました。 胤栄は、柳生石舟斎と一緒に上泉伊勢守にも師事したことがあります。

鎌槍の起源については、流祖の胤栄が池のほとりで自らの槍術に考えを巡らしていた際、 ちょうど池に映る三日月が槍に交差して十文字になったのを見て、天啓を得たのだという エピソードが残っています。

鎌槍は、扱いこそ難しいものの、 突く、払う、引っかける、全ての働きができるすばらしい武器です。

柔術 - 関口流

開祖

関口柔心

成立

戦国時代

歴史・概要

正式には「関口新心流」といいます。

関口柔心(うじむね)(氏心とも書く)は、柔術の祖であるといわれています。 戦国以前からあった「小具足(こぐそく)」といわれる組み打ち術に、 長崎で学んだ唐武術を組み合わせて体系化し、 武芸に昇華させたのは彼であるとされています。

もともとの関口流武術は非常に多種目にのぼりましたが、 柔心が仕えた紀州・徳川家の「御流儀」は柔術が中心でした。 そのほか、抜刀術が熊本に伝わっています。

基本は相手の攻撃を「受けて」「流す」ということであり、 相手の力を利用して、体を固めたり関節を極めたりします。 これは、抜刀術でも、小刀をもって太刀に立ち向かうときでも共通な心構えであり、 関口流ではこれらを実際に統合しているところが優れています。

抜刀術 - 林崎夢想流

開祖

林崎甚助重信

成立

戦国時代

歴史・概要

流祖の林崎甚助が、夢想のうちに授かった居合の一手をもとに興した流派です。

甚助は、親の敵を取るために明神に100日の参詣をし、その満願のときに明神から授かった居合の一手で 彼は敵討ちを果たしました。その後、塚原卜伝について「一の太刀」を授けられ、 これを組み合わせて林崎夢想流を創始します。 林崎甚助は、我が国居合いの祖と呼ばれます。

居合とはつまり、鞘から刀を抜く前に、抜けば勝つ、という状況に持ち込むことであり、 それを容易にするため、林崎夢想流では、 仕太刀(しだち)(型稽古で攻める側)は必ず長刀で修行します。 そして、上級者になって初めて小太刀の居合いを学びます。

薙刀術 - 天道流

開祖

斎藤伝鬼房

成立

戦国末期

歴史・概要

塚原卜伝の最晩年の弟子、金平が、 修験者に姿を変えた天狗と試合して敗れ、開眼した流派です。 金平は斎藤伝鬼房と名を変え、天から授かったので流派名を天流としました。 後に天道流と改名します。

もともとは薙刀だけでなく、 剣術が主で、ほかに鎖鎌(くさりがま)なども含んでいました。 薙刀が特に重んじられるようになったのは明治に入ってからのようで、 当時の14代目宗家、三田村顕教が得意だったからなのでしょうか。 何度か天覧試合などで薙刀の妙技を見せ、 大日本武徳会では天道流の薙刀術を教えることになりました。 女学校などの師範は武徳会の出身でしたから、 戦前の女学生は天道流の薙刀術を学んでいた、ということになるようです。

「一文字の構え」という、相手に対して刃をまっすぐ向け、 水平に薙刀を持つ構えが当流の基本的な構えとなります。 ここから薙刀の特徴を生かし、 相手の動きに合わせて押し切り、引き切り、突きます。

棒術(杖術) - 神道夢想流

開祖

夢想権之介

成立

戦国末期

歴史・概要

夢想権之介は、一度は剣を、また一度は杖(じょう)をもって 最強の名人・宮本武蔵に挑み、二度とも敗れましたが、 三度目にして勝ったという逸話を持ちます。

この、彼がついに武蔵に対して勝利を得たものこそが、神道夢想流杖術です。 権之介は、老いて年を取れば誰もが縋(すが)る杖によって 自らを守る、ということから杖術にたどり着いたとされています。

神道夢想流には、そのための究極の法として、一刀流の「切落し」のような技法があります。 これは、相手が打ち込んでくるのに合わせ、 こちらからも上段から打ち下ろせば、相手の剣の峰をこちらの棒の丸みで流しつつ、 相手の面を襲うという技です。 これを称して「相打ちの先」と言い、 杖をもって剣に対して勝ちを得る唯一の方法であるとされます。

弓術 - 吉田流竹林派

開祖

石堂竹林

成立

江戸初期

歴史・概要

尾張徳川家でさかんだった流派です。 京都・三十三間道の通し矢で8千本の大記録を成し遂げ、 そのほかにさまざまな逸話を持つ「弓豪」、 星野勘左衛門はこの流派です。

また、二代目竹林の弟子に吉見台右衛門という紀州・和歌山藩士がおり、 彼は勘左衛門よりも前に通し矢の記録を持っていました。 その弟子が、勘左衛門の記録を133本上回った和佐大八郎です。

共に御三家であるからか、尾張家と紀州家はライバル意識が強く、 大八郎が弓術の英才教育をうけたのも、勘左衛門の通し矢の記録に挑戦したのも、 この対抗意識の現れといえます。

大八郎が挑戦した際、検分は勘左衛門がすることになりました。 大八郎の手が\傍点{うっ}血し、弓勢(ゆんぜい)が衰えたとき、 本人すら気が付かなかったのを勘左衛門ただひとり見破って、 手当てをして続けさせた、という逸話が残っています。

砲術 - 稲富流

開祖

稲富一夢

成立

戦国末期

歴史・概要

戦国期の鉄砲の名人、稲富一夢が興した流派です。 彼は元々、細川忠興の重臣でしたが、関ヶ原のとき、彼がいた京屋敷が石田三成に 焼き討ちされ、細川ガラシャ夫人が自刃した際、ほかの重臣が殉死するのを尻目に 一人だけ逃げ出しました。忠興は激怒しましたが、徳川家康に仲立ちされて怒りを収めました。 一夢は最後には尾張初代藩主・徳川義直に使えます。

それ以後、稲富流は尾張を中心に栄えていきました。

一夢は、曲がった銃で鶺鴒(せきれい)を打ち落とした、という 逸話を持ちますが、銃の癖を読み取り、それを修正するのではなく、 それに見合った形に一つ一つ違った目当て(照準のためについている突起)をつけたといいます。 これによって非常に正確な射撃ができたのでしょう。

手裏剣術 - 根岸流

開祖

根岸松齢

成立

江戸末期

歴史・概要

根岸流は、なぜか池波正太郎が好んで小説に使う流派です。 「剣客商売」に出てくる「手裏剣お秀」が根岸流手裏剣の遣い手ですし、 「剣客商売:番外編 ないしょないしょ」にも登場します。 しかし実は、根岸流という流派は幕末になってからのもので、 「剣客商売」(田沼時代)とは時代が合いません。

それはともかくとしまして。

根岸流の手裏剣は、太くて短い鉛筆の軸の真ん中当たりを 細く削ったような形をしています。 投げかたは直打法、つまり先端が最初から目標やや上の方を向くように投げ、 命中時にちょうど刺さるように投げます。

もう一つ、根岸流には「蹄(ひづめ)」と呼ばれるミニ手裏剣があります。 小さな蹄鉄(ていてつ)型の手裏剣で、へこみを親指にのせて投げるものです。

馬術 - 八条流

開祖

八条近江守房繁

成立

室町時代

歴史・概要

発生は古く、また広く伝わった流派です。 流祖、八条近江守房繁は 上杉謙信に馬術を教授したとされる達人で、 武蔵の人ですが、 江戸、奥羽(特に仙台・伊達家)、尾張などに伝わりました。 特に伊達家では八条流を重く見て、家中に八条流のものは多くいたそうです。

八条流は現在には伝承は失われ、その正確な内容というのは分かっていないのですが、 数多くの名手を輩出しました。 芝の愛宕山の急勾配(高さ26メートルながら、石段は86段もある急勾配)を馬で山頂まで駆け上がり、 また同じ馬で駆け下りてくるという難行にチャレンジし、成功したものは20人前後いますが、 そのうち八条流は5〜6人いたと言います。

水術 - 小堀流踏水術

開祖

小堀長順常春

成立

江戸初期

歴史・概要

熊本藩に伝わる水術です。 もともとは単に「踏水術(とうすいじゅつ)」と 称していましたが、 後に小堀流とよぶことになります。

熊本藩士・村岡伊太夫政文は、若くして泳ぎの達者であり、 家中で泳ぎの指導に当たっていました。 彼は甲冑を着けたまま泳ぐよい方法はないかと考え、浮\傍点{だすき}と浮帯を 考案しました。

その実子で、小堀家に養子に入った小堀長順は、 幼い頃から父について泳ぎを学び、本業の茶道師範と共に泳ぎの指南も行いました。 彼は藩主の勧めに従い、父と自分で体系化した踏水術について 「踏水訣」という書を表しました。これが小堀流のスタートとなります。

小堀流では、現代泳法と異なって水に顔をつけません(潜泳は別)。 泳ぐ目標から目をそらさないことが基本となります。 そして特徴としては立ち泳ぎがあり、 立ち泳ぎしながら鉄砲を撃つのはまだしも、 剣術の型をしたり、杯に酒を注いで飲んだり、 筆で字を書いたりします。なんか冗談のようですが、 戦場で破壊工作などの水上作業をおこなうことのモデル化なのかも知れません。


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