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第八章 江戸の生活

虱と武士に恐れて江戸の住居(すまい)はならず
--- 病間長語‐二


「秘伝の声」が舞台としている江戸時代は、 私たちの住んでいる現代とだいぶ異なります。 時代劇や時代小説などで断片的に知ることができるとはいえ、 当時の人々がどのような暮らしをし、どのような生活を送っていたかは、 私たち、現代人の計り知れないところがあるでしょう。

ここでは、江戸時代の都市部、特に江戸の生活・風俗について簡単に述べます。 GMはシナリオ作りの、 プレイヤーはロールプレイングの参考にしてください。

八ノ一 江戸の衣食住

ある時代の生活を知るには、 衣食住をどのようにしているかを知るのが一番大事でしょう。 ここでは、人間の基本ともいえるこの三つについて説明します。


八ノ一ノ一 江戸の衣類

江戸時代の衣類は、もちろんすべてが天然繊維で、いわゆる着物でした。 現代に比べると、着物、 そしてその材料である布を作るのは非常に手間がかかるので、 衣類はとても貴重です。 何度も継ぎをあてて着て、 継ぎもあてられないほどになるとまた別のものに作り替え、再利用する。 なんらかの事情で衣類を処分するときは、古着屋に引き取ってもらう。 そういうことが、生活状況、身分を問わず、ごく一般的でした。 女性が繕いものをするのは常識ですし、 農民はもちろん、下級武士までも、 自分で糸を紡いで機(はた)を織るところまでやっていたのです。

古着を扱う店に対し、新しい布を扱うのが呉服屋です。 「呉服」とは絹物のことで、それに対して木綿は「太物」といいました。 呉服屋で服を買うときには、まず生地を選び、 それから仕立てることになります。 もちろん、生地だけ買って自分で仕立てることも大いにあり得ます。

武士の正装は羽織・袴ですが、 大名の場合は、烏帽子に長袴の場合もあります (「忠臣蔵」の松の廊下を思い出してください)。 普段は袴、あるいは浪人の場合は着流し姿です。

町人の場合は小袖や、未婚の女性の着る振袖などが普通です。 農民などもほぼ同じですが、基本的に絹の着物を着ることはありません。

また、衣類ではありませんが、 江戸時代の特徴的なものといえば髷(まげ)があります。 普通の男性は、月代(さかやき)を剃り、髷を結っています。 前髪があるのが若衆髷で、元服前の若者などの髷です。 「前髪断ちをしていない」という表現は、 元服をしていないことを表します。 月代は毎日剃ると光りすぎて具合が悪いので、 四日に一度ぐらいが普通だったようです。 男性の場合は、髪結いに行ったり、 回り髪結いに頼んだりして髷を結います。 女性の場合は、時代によって流行が異なりますが、 長い髪を結って、鬢(びん)付け油で整えていました。 女性は髪を自分で結います。 髪が結えない女性は一人前と認められませんでした。 また、子供の髪を結ってやるのも女性の役目でした。

女性はまた、結婚するとおはぐろをし、 さらに子供を生むと眉毛を剃り落とします。 江戸時代では結婚せず、子供もいないというのは一種の欠陥と思われていたので、 おはぐろをして眉を剃って、初めて女性として一人前になったとされたのです。


八ノ一ノ二 江戸の食生活

江戸の時代は、戦国の気風の残る初期の頃は一日二食でしたが、 だんだんと世の中が贅沢になって来て、一日三食が定着しました。 食事の形態は今とあまり変わりませんが、 当然、特別な場合を除いて和食です。

「江戸前」という言葉があります。 これは、文字どおり江戸の前、すなわち江戸湾で取れる魚を指しているのです。 江戸湾は、大川(墨田川)をはじめとする河川が流れ込み、 淡水と海水が交じりあって、一種独特のうまい魚が捕れたのです。 また、江戸の近郊から売りにくる野菜も新鮮で、かつ季節感にあふれる物でした。 今に比べると食材も調味料の数も少なく思う人もいるかもしれませんが、 私たちに比べるとうまい物を食べていたといえるのではないでしょうか。

代表的な食材としては、魚と野菜が挙げられます。 魚は今とほとんど変わりません。 ただ、シャコや青柳の貝柱(はしら)などは、 今と違って庶民的な物でした。 野菜もほとんど同じですが、ブロッコリやセロリなどは当然として、 白菜などは江戸時代にはありませんでした。 豆腐や油揚げ、こんにゃく、納豆などの加工食品もすでにありました。

また、鶏や軍鶏(しゃも)、鴨などの鳥肉も大事な食材です。 仏教思想が行き届いていたので、獣の肉食は一般的ではありませんでしたが、 兎は正月に将軍家にも献上されていたため、 いくつか出す店もあったようです。 牛なども、「薬喰(くすりぐい)」と称して一部に食べられていました。

江戸は参勤交代による単身赴任者が多い町だったため、 料理屋が発達しました。 代表的な物としては、まず蕎麦屋(そばや)があります。 江戸における蕎麦屋は、単に蕎麦を食べるところではなく、 酒も出すし、話もできる、今でいう喫茶店のような役割を果たしていました。 蕎麦の種類は、現在のように上にのせたりするものはあまりなく、 むしろ、柚切りや酒もみといった、蕎麦自身に手を加えた物が多かったようです。

船宿や茶屋、酒屋のような酒を飲ませるところでも、 つまみとしてうまい食べ物を出すところはたくさんあったようです。 ただし、 小料理屋のような物は、 江戸もだいぶ後期になってこないとできませんでした。 また、現在は高級料理の一つである鰻は、 江戸時代中期までは、串に刺して丸焼きにして屋台で売っていた物で、 はっきりいえば下品な食べ物だったのです。 今のような形になるには、11代将軍、徳川家斉の頃(1787〜1837)を待たなくてはなりません。 握り鮨も文化末年から文政初期(1820年頃)と言われていますから、 それまでは押し鮨、稲荷鮨といった物で、 屋台の安い食べ物でした。


八ノ一ノ三 江戸の住居

江戸の住居は、当然、身分や職業によって異なってきます。 ここでは、江戸の住まいといえばすぐに思い付く、 長屋について書くことにしましょう。

いわゆる「九尺二間」の棟割(むねわり)長屋の大きさは、 一軒分の間口が九尺(2.7m)で、奥行きが二間半(4.5m)です。 入った部分がかまどのある土間で、奥には四畳半が一つあるきりです。 二階がある家でも、階段をつける場所がありませんから、 二階の床に穴を開けて梯子をかけていました。 隣との仕切りは薄い壁一枚。少し大きな声を出すと筒抜けです。

当然、風呂は湯屋(銭湯)、トイレは共同で、 炊事・洗濯は井戸端で行いました。 暖房は火鉢だけです。 密閉も完全ではありませんから、 冬は非常に寒かったと思われます。

長屋暮らしは、しかしながら、 住民同士の触れ合いの多い場所でもあります。 赤の他人同士が、同じ長屋のよしみで、困ったときには助け合い、 うれしいときには喜びを分かち合う。 「遠くの親戚よりも近くの他人」とはよくいったものです。

八ノ二 江戸の娯楽

江戸時代には、ディスコもゲームセンターもカラオケボックスも ゴルフ場もスキー場もありません。 では、どのような娯楽があったのでしょうか。

はじめに考え付くのは芝居です。 歌舞伎は、観劇だけでなく、 ファッションの中心地であり、いわゆる「か・べ・す」、 つまり菓子・弁当・寿司を楽しむところでもあったのです。

それから、湯屋(銭湯)の二階や髪結い床なども、 将棋盤なども置いてあり、人が集まって話すところでした。 さきほども触れましたが、蕎麦屋もこのような場所でした。

一般庶民が物見遊山に行くことは滅多にありませんでしたが、 江戸市中の神社の参詣にいったり、 請中でお伊勢参りをしたり、といったことはありました。 講というのは、みんなで金を出し合って、 その金で持ち回りでお参りをする、というようなことです。

囲碁や将棋なども盛んでした。 蕎麦屋などが碁会所になったりするようなこともありましたし、 長屋の夕涼みで、将棋を指すというのもよく見られる光景でした。 隠居してのんびり暮らし、碁仲間と時々碁を打ってすごす。 これは理想的な余生の送り方といえましょう。

それから、今も変わらない娯楽として、読書がありました。 とはいっても、現代に比べれば紙も高価ですし、 印刷の手間も馬鹿にならないので、庶民はほとんど貸本に頼っていました。 たいてい、洒落本の類は年末に一度だけの発行で、 人気があるものは盆にも出しました。 結局、続き物を読むにも、半年か一年待たなくてはならなかったのです。

江戸時代の本といえば、春本を真っ先に思い出す人もいるでしょう(笑)。 春本のなかでも過激なものは、 もちろん、幕府から許可が出るわけがありませんから、 ひそかに出回っていました。 貸本屋においてあり、常連だけに出してきて見せるのです。 江戸時代には何度も倹約令が出て、 色刷の本などは禁止されていたこともあるのですが、 春本はもとから非合法なので、極彩色の非常にきれいなものだそうです (私は見たことがないので、これは受け売り)。

また、公営ギャンブルはありません(強いていえば富くじですが、 これはどちらかというと宝くじ)。 賭博は犯罪であり、罰せられても文句は言えないのです。 ただ、ほとんどの場合は黙認されています。

女郎買いというのも立派な(?)娯楽でしょう。 吉原は公けに認められた歓楽街ですが、 それ以外の場所を岡場所といいます。 岡場所は本当は不法行為なのですが、これもほとんど黙認されていました。 岡場所としては、辰巳や深川などが有名でした。

八ノ三 時刻・時間と暦

時代劇を見ていると、 時刻や時間の呼び方がよくわからないことがあるかも知れません。 実際、江戸の時刻・時間はなかなか複雑なのです。

時間の方は、一時(いっとき・一刻とも書く)は二時間、 半時(はんとき)は一時間、 四半時(しはんとき)は三十分です。 これ以上細かい時間の単位というのはありません。 というのは、正確・精密な時計もありませんでしたし、 不定時法のために、季節・時刻によって同じ一時(いっとき)でも時間が異なったりしたため、あまり細かい単位は必要とされなかったのです。 江戸時代の時刻と現在の時刻の換算

江戸の時刻は大きく分けて、二つの表わし方がありました。 十二支法と数呼びです。 どちらの表わし方も、不定時法という点で共通しています。 つまり、その日その日の日の出・日の入りをもとに時刻が決まるため、 例えば「明け六つ」が現代の何時にあたるのかがわからないのです。 しかし、実際のゲームでは、定時法と考えてしまっていいと思います。

十二支法は、真夜中を「子」、真昼を「午」として、 一日を12に分割し、十二支で呼ぶ方法です。 ですから、例えば「子の刻」は夜11時から1時を指す、と考えます。 しかし二時間刻みでは、あまりにも大雑把すぎるので、 それぞれを上・中・下刻に分けて40分単位としたり、 五つに分けて一点〜五点とする方法があります。 例えば、「丑三つ時」は「丑の三点」ですから、 深夜2時12分から同36分になります。 ただし、五点法は戌・亥・子・丑・寅の深夜だけに用いられます。

それに対して数呼びは、江戸中期から普及したものです。 「九つ」から始まり、「四つ半」までの逆算で、 午前と午後とで同じ呼び名を使うため、 「昼」「夜」または「明け」「暮れ」をつけて区別します。

まとめると図のようになります。

それから暦ですが、江戸時代では旧暦(太陰太陽暦)を採用していたのは 御存知のとおりでしょう。 旧暦では、 1ヶ月30日間の大の月と29日間の小の月が1年に6ヵ月づつあり、 1年は354日でした。 そのため地球の公転周期とのズレを補正するための閏月が、 5年に2度の割合で置かれました。 ちなみに現代(グレゴリオ暦)と比べると、旧暦が約1ヵ月ほど遅れていることになります。

八ノ四 江戸の単位

江戸の単位は現代のメートル法などとは大幅に異なる尺貫法を用いています。 目安としてメートル法への換算を書いておきますので、参考にしてください。
長さ 1丈 = 10尺 = 100寸 = 1000分
(1寸=約3cm)
距離 1里 = 36町
1町 = 60間 = 360尺
(1里 = 約4km、1町=約110m)
面積 1町 = 10段 = 100畝(せ) = 1000歩(坪)
(1歩 = 約3.3m2)
重さ 1貫 = 1000匁
1斤 = 160匁
(1匁 = 3.75g)
容積 1石 = 10斗 = 100升 = 1000合 = 10000勺
(1石 = 180 l)
1俵 = 1石2斗 = 216 l

八ノ五 買物案内

ここでは、江戸時代の金銭価値と物の値段について述べることにしましょう。

一口に江戸時代といっても、270年もの長い時代です。 金銭の価値観や物価も、時代ごとに大きく変っています。 そこで「秘伝の声」では、江戸初期から中期の貨幣価値と物価を基本としています。 米や塩など、相場によって毎年価格が変動するものは、 史実の中でもっとも分かりやすい値を使うことにします。


八ノ五ノ一 貨幣の種類と交換レート

江戸で流通している貨幣の材質は、金、銀、銅の3種類あり、 それぞれに異なる種類の貨幣が鋳造されています。 貨幣の種類と交換レートは以下のようになります。

金:1両=4分=16朱
銀:1分=4朱=15匁 (重さ)
銅:1貫文=100疋=1000文
金1両 = 銀60匁 = 4000文
金1分 = 銀1分 = 1000貫文

基本となるのは金貨です。 金貨は5種類に分かれ、それぞれ一両小判、二分判、一分判、二朱金、一朱金、 となっています。 一両小判は楕円形をしています。 何十両という高額を扱うときには、 25両ずつ和紙に包んで取り引きされることがあります。 これは「切り餅」と呼ばれます。 他の4種類の金貨は長方形の小さな貨幣で、表面に額面がかかれています。

銀貨と銭貨は補助貨幣です。 銀には一分銀、一朱銀があり、価値は金貨の一分、一朱と同じです。 匁という単位は主に商取引で使用されます。 この単位は重さの単位であり、取り引きするときには秤で重さを量って用いられます。 ですから厳密には 1分=60匁 とは限りませんが、 ゲーム中ではこのように決めて下さい。 1匁分の重さ(=3.75g)が銀1匁となります。

最後に銭貨には、 一文銭、四文銭、十文銭、百文銭があります。 銭貨は丸形をしており、中央に穴があいています。 日常世界でもっとも良く使われるのはこの銭貨でしょう。


八ノ五ノ二 江戸時代の金銭感覚

江戸っ子の気質をあらわす言葉として、 「宵越しの銭は持たねえ」というのがあります。 これは江戸っ子のきっぷの良さをあらわしていると思われていますが、 実際のところ、江戸庶民のほとんどがその日暮しをしていたので、 宵越しの銭は持てなかったのです。

江戸の物価は日用品がとても安く、 娯楽・嗜好品はとても高くなっています。 質素に暮らしていれば不自由はありません。 しかし、ぜいたくをするとすぐに身を潰してしまいます。 ですから、酒や煙草もそうそう楽しめるものではないのです。

江戸での金の支払いで特徴的なのは「掛け売り」です。 掛け売りとは、ツケのことです。 馴染の店などでは、来店するたびにいちいち勘定を払ったりしません。 すべてツケであり、その年の暮れに一括して支払うのです。

また「心付け」も江戸の金銭感覚特有のものです。 いわゆるチップなのですが、 江戸の住民は頻繁に心付けの受渡しをします。 心付けは江戸っ子のきっぷのよさであり、粋であり、やさしさの現れなのです。

江戸の物価を語る上でよく用いられるのが、 1両の価値です。 ここでも簡単に例を上げてみましょう。 1両あれば、一般的な江戸庶民の4人家族が一ヶ月何とか暮らしていくことができます。 また、米一石の価値が約1両です。

以下に現代と江戸時代の貨幣価値の対応表をのせておきます。 一概に比べられるものではないのですが、一応の目安としてください。

1両=100,000円
 1分=25,000円
 1朱=6,250円
1貫文=25,000円
 4文=100円
 1文=25円

江戸の物価は別途「価格表」にて紹介しています。


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