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第五章 行事案内


現代とは違って、江戸時代は季節が目に見えて感じられる時代でした。 人々の生活も、季節に合わせて節目があり、 季節を象徴する行事が執り行われました。

本章では、江戸で行われた季節行事を中心に取り上げます。

暦と季節

まず、江戸の暦について若干触れておきます。

江戸と現在の季節感には差異があります。 たとえば正月は、私たちの感覚では冬ですが、江戸では春のはじまりです。 江戸時代は旧暦(太陰太陽暦)で、1〜3月が春、 4〜6月が夏、7〜9月が秋、10〜12月が冬となっていました。 また、旧暦は一ヶ月30日間の大の月と、29日間の小の月が一年に六ヶ月づつあり、 一年は354日でした。月の真ん中に満月が見えるように、毎年、大の月と小の月の 組み合わせを変えていました。

一年354日だと、地球の公転周期とのズレが生じてしまい、季節と暦が合わな くなってしまいます。そこで、五年に二度の割合で閏月(うるうづき)が 置かれました。閏月がある年は、同じ月が二回あるので、 本来の月と閏月を区別するために、閏月は「閏二 月」というように月の前に閏をつけて呼ばれました。

旧暦では、月のはじめの日のことを「朔日(さくじつ)」、 終わりの日のことを「晦日(みそか)」と読 んでいました。暦は毎年十一月一日から一般に売り出されました。

現在と旧暦では暦の体系が違うので、一概に比べられませんが、旧暦の方が約一 ヶ月遅れている、というのが大体の目安です。


一月 --- 睦月 孟春 初春月 早緑月

現代と同じく、元旦から新年となり、新しい一年が始まります。

初日の出(はつひので)

元旦。新年初めての日の出。人々は見通しの良い海岸や高台へ行き、拝みます。ま た、富士山も神聖な山とされていたので、初富士を拝みました。

恵方参り(えほうまいり)

その年に歳徳神(としとくじん)が来る方角が恵方。その方角にある神社仏閣に、元日未明にお参り をします。現在の初詣の原型です。

年賀の回礼(ねんがのかいれい)

新年の挨拶。いつもお世話になるところへ新年の挨拶に出向きます。正月三が日に すませます。

初夢(はつゆめ)

正月二日の夜に見る夢が初夢。めでたいのは一富士、二鷹、三なすび。

初商い(はつあきない)

二日、商店がいっせいに店を開けます。新春大売り出しです。

七種(草)粥 (ななくさがゆ)

七日。ナズナ、オギョウ、ハコベラ、セリ、スズシロ、スズナ、ホトケノザが 七草。 とはいえ、江戸ではナズナに少量のコマツナを主に入れて食べました。

薮入り(やぶいり)

十六日、年二回の休日で、商家の奉公人が実家へ帰ることが許されます。

恵比寿講(えびすこう)

商家の福の神の祭り。年二回、一月と十月に行われます。 商家では飾りものをして、お供えをします。十月の方が賑やかに行われます。


二月 --- 如月 仲春 梅見月 雪消月

二月は梅が見頃になる月。商人、職人ともに暇な月であり、梅も咲く頃なので、 仲間や家族と連れだって郊外まで出かけていきます。

初午(はつうま)

二月最初の午の日に行われる、稲荷社の祭事。稲荷社では、幟(のぼり)や 地口(じぐち)行灯をつるし、太鼓を打ちならします。 市中至る所にある稲荷の祭事なので、絵馬売りや太鼓売りが町中を行商し、 子供達は一日中太鼓をたたいています。 神社としては、王子稲荷が有名。

六阿弥陀詣(ろくあみだもうで)

春分前後の七日間、つまりお彼岸に行われます。 後生を願って、江戸近郊六カ所にある行基作と伝えられる木造阿弥陀仏に参拝します。

針供養(はりくよう)

八日。豆腐やこんにゃくに針を刺して、淡島神社に納めました。

涅槃会(ねはんえ)

十五日、釈迦の忌日。一向宗以外の寺院で、 本堂に涅槃図(釈尊入寂(にゅうじゃく)の時、その周りで門弟や鬼神、 鳥獣までもが悲しんでいる様子を描いた絵)をかけ、供養が行われます。

雛市(ひないち)

下旬。雛祭りの準備のための市がたちます。 日本橋近くの本町と石町の間の十軒店の雛市が有名です。

\行事 梅見(うめみ) 梅が見頃になります。梅の名所は、亀戸梅屋敷、 蒲田の梅園、向島百花園が有名です。


三月 --- 弥生 季春 花見月 桜月

三月は花見の月。雛祭りの頃は桃が咲き、それが終わると、桜が本番。 他にも、梨、山吹、つつじなど春の花が咲きそろいます。 また、大名の参勤交代の月でもあり、江戸四宿を中心に人の出入りが激しくなります。

雛祭り(ひなまつり)

五節句の一つ。三日に行われる女の子の祭り。雛人形を飾って祝います。 その風景は現在とあまり変わりません。

梅若忌(うめわかき)

十五日。木母寺で梅若丸の命日供養として大念仏会が行われます。 梅若丸とは、隅田川畔で語り伝えられる伝承の登場人物で、 非業の最期を遂げた稚児の名です。 その母が都からはるばる尋ね捜しに来て、梅若丸を弔う大念仏会に行き当たり、 梅若丸の霊にめぐりあう、というのが伝承の筋です。

浅草三社祭(あさくささんじゃさい)

十七日〜十八日。二年に一度行われる、浅草の惣鎮守(そうちんじゅ)たる 三社権現の祭礼。 三基の神輿が浅草寺山内を渡御(とぎょ)する「庭祭礼」と、 隅田川を渡御する「船渡御(ふなとぎょ)」などが行われ、大いに賑わいます。

花見(はなみ)

桜が見頃になります。桜の名所は、上野寛永寺、飛鳥山、御殿山、大川堤、吉原の 夜桜、小金井堤が有名です。

開帳(かいちょう)

三月から、江戸各所の寺院で、霊仏・霊神・什宝(じゅうほう)を公開します。


四月 --- 卯月 孟夏 夏初月 花残月

四月からは夏。気候も暖かくなり、町人達は賑やかに騒いでいますが、大名は参 勤交代も終わり、武芸に学問にと忙しい毎日です。

更衣(ころもがえ)

一日。着物を綿入れから袷の物に替えます。九月八日の重陽の節句まで足袋をはき ません。

潅仏会(かんぶつえ)

八日。花祭りともいいます。この日は釈迦の誕生日。寺では牡丹や藤などで屋根を 飾り付けをした花御堂という小さなお堂を作り、その中に誕生仏を設置して、人々 が水や甘茶を注ぎかけます。潅仏とは、仏像に水や甘茶を注ぐことです。


五月 --- 皐月 仲夏 さくも月 田草月

五月はすっかり夏らしくなってきます。ただ、梅雨の時期なので、雨が多いのは 困りものです。端午の節句からは袷に替わって帷子を着ます。

端午の節句(たんごのせっく)

五日。五節句の一つで、男の子の祝い。立身出世を願って鯉のぼりを上げ、 菖蒲太刀を飾り、また菖蒲を軒先に立てたり、菖蒲湯を立てたりします。

川開き(かわびらき)

二十八日。大川での納涼が幕府から許されます。期間は八月二十八日までの三ヶ月 間。初日には、両国で盛大に花火が上がり、付近の盛り場の営業時間も延長されま す。川開き恒例の花火は、両国橋を境に、上流が玉屋、下流が鍵屋の受け持ちとな っています。

蛍狩り(ほたるがり)

立夏から一ヶ月くらいが時期。団扇や笹竹などで飛び回る蛍を捕らえ、竹細工の虫 篭に入れて楽しみます。蛍の名所は、谷中の蛍沢、高田落合、目白下、目黒など。

初鰹(はつがつお)

江戸の食通の初物好きは熱狂的でした。中でも、五月の初鰹は特に珍重されており 、「女房・娘を質に置いても」といわれたほど。江戸の市民達はどんな無理な算段 をしても、こぞって初鰹を買い求める風潮がありました。当然値段も跳ね上がりま した。


六月 --- 水無月 季夏 風待月 常夏月

六月は水無月。夏の盛りで、梅雨だった五月とはうって変わって、晴天が続きま す。蚊が出てくる時期で、人々は苦労しました。

氷献上(こおりけんじょう)

一日。城内では氷室の御祝儀が行われ、将軍が臣下に氷を与えます。町家ではそれ を真似て、氷餅(凍餅)を食べます。

富士参り(ふじまいり)

一日。富士山の山開きの日。江戸各所にある「お富士さん」(浅間神社)に参詣す る人々で賑わいます。

鳥越神社祭礼(とりごえじんじゃさいれい)

九日。鳥越神社で行われるお祭り。通称「お化け御輿」という巨大な御輿が出ます 。若者が百人でかついでも、担ぎ手がすぐに代わらねばならないほどの重さといわ れています。

山王権現祭(さんのうごんげんさい)

十五日。日枝神社山王権現の祭礼です。四十五台の山車が市中を練り歩くという雄 大なものです。練り物は麹町の木綿製の巨象が有名。将軍が城内で山車などの行列 をご覧になったことで、「天下祭り」と呼ばれます。神田明神祭と並んで江戸の二 大祭礼といわれます。

夏越の祓(なごしのはらえ)

晦日。各神社で、一月から六月までの半年間の汚れや厄をはらう行事です。佃島住 吉神社では、その前二日間の祭りも有名です。


七月 --- 文月 孟秋 秋初月 七夕月

七月は秋の入り。暑さも若干やわらいできます。 晴天の日には虫干し(土用干し)が行われ、 寺や神社ではそれも兼ねて宝物類を拝観させます。

施餓鬼(せがき)

七月中。特に日取りは決まっておらず、寺院によってまちまちです。 一般的には盂蘭盆会(うらぼんえ)といっしょにやります。 非業の死を遂げた霊は餓鬼界に落ちるといわれてお り、そのような霊や無縁仏を供養する法会(ほうえ)のことです。 清浄な地や水に、食べ物や 形代を投げ込んで供養します。特に、両国の回向院で行われる施餓鬼会が規模も大 きく、有名です。また、庶民の家でも、 盂蘭盆会の時に精霊棚(しょうりょうだな)といっしょに施餓鬼 棚を作り、そこに食べ物を供えます。

七夕(たなばた)

七日。竹に飾り付けをします。 七夕飾りは、色紙や短冊、紙製の盃・瓢箪(ひょうたん)・吹き流 しなど。清水に映すと縁起がよいとされており、長屋では住民総出で井戸さらいを し、軒高く掲げました。

浅草観音の千日参(あさくさかんのんのせんにちまいり)

九・十日。俗に「四万六千日」とも呼ばれます。 この日は観音欲日(よくび)といって、参詣 すれば、その日数と同じ日参をした功徳(くどく)を 得ることができるといわれています。ま た、観音境内に、鬼燈(ほおずき)を売る店が軒を並べたので、 「ほおずき市」としても知られるようになりました。

盂蘭盆会(うらぼんえ)

十五日。お盆のことです。精霊棚にキュウリや茄子で作った午や牛を供えて、里帰 りする祖先の霊を慰めます。

薮入り(やぶいり)

十五日。商家の奉公人の、年に二度の休みの日で、 実家に帰ることが許されました。

二十六夜待(にじゅうろくやまち)

二十六日。この日の夜、月の出を待って拝む行事。この日の月は、出しなに光が三 つに分かれ、瞬時に一つに合わさるように見えるといいます。その光の中に阿弥陀 三尊が見えるといわれています。芝・高輪の海辺や、湯島・神田の高台が賑わいま す。

虫干し(むしぼし)

夏の末。衣服や書物などの湿気を除き、カビや虫の害を防ぐための家事。

盆踊り(ぼんおどり)

江戸では、芝大門前と西久保広小路の二カ所で行われました。いずれも越後出身者 の集まりで、いわば新潟県人会のようなものでした。

\月{八月}{葉月 仲秋 月見月 紅染月}

八月は萩が見頃になります。また、雁の季節でもあります。朝夕が涼しくなり、 人々もようやく過ごしやすい季節を迎えます。

八朔(はっさく)

一日。徳川家康が江戸城に入城した記念の日。それを祝って、諸大名が白帷子を着 て登城します。吉原では遊女がそろって白無垢を着ます。また、浅草御蔵では、ハ ッサク(果物)の出来によって、米の相場が決まります。

吉原俄(よしわらにわか)

一日から末日。俄というのは即席演芸のこと。 吉原の芸者や太鼓持ちが廓内(くるわない)の街頭 で即席演芸を見せる、いわば吉原のお祭りです。自由に出入りできてしかも無料な ので、見物人で賑わいました。

月見(つきみ)

十五日。仲秋の名月に団子、柿、栗などを供えます。十五夜の供え物はすすきが十 五本または五本、米粉(べいふん)の団子または 饅頭が十五個が決まり。月を愛でつつ、飲んで 食べるのが江戸のならわしです。月見の名所は浅草川(大川)、深川、品川。いず れも遊里が近くにあります。

深川八幡祭礼(ふかがわはちまんさいれい)

十五日。江戸の八幡宮の元締め・深川富岡八幡宮の祭礼。

萩見物(はぎけんぶつ)

萩の名所は亀戸天神、三囲神社、向島百花園、そして俗に萩寺と呼ばれた亀戸・龍 眼寺など。


九月 --- 長月 季秋 色取月 寝覚月

秋も深まり、夜が長くなります。更衣の季節。花は菊が見頃になります。秋祭り も盛んに行われます。

更衣(ころもがえ)

一日と九日。一日には帷子から袷に、九日には袷から綿入れの物に替えます。

重陽(菊の節句)(ちょうよう)

九日。長寿を願って菊酒を飲みます。大名から将軍に菊花を添えた品々が献上され ました。安政年間に千駄木団子坂に菊人形が展示されるようになって人気を呼びま した。

十三夜(じゅうさんや)

十三日。別名、後の月見。八月十五日の月見をしたら、必ず九月十三日の月も見て 、片月見をしてはいけないといわれました。

神田明神祭(かんだみょうじんさい)

十五日。夏の山王権現祭と並ぶ、江戸の二大祭礼の一つ。この祭りも将軍家上覧の 「天下祭り」です。山車は全部で三十六台。桜馬場からお茶の水、湯島を経て各町 をまわりました。

芝神明祭(しばしんみょうさい)

十六日。正しくは、飯倉山神明宮祭。芝大門にある通称芝大神宮の祭りです。十一 日から二十一日まで続くので「だらだら祭り」とも呼ばれます。境内には名物の谷 中の生姜を売る生姜市が立ちました。


十月 --- 神無月 孟冬 神去月 初霜月

十月からは冬。紅葉が見頃になります。日が短くなるにつれ、職人の夜なべ仕事 も多くなります。また、寒さも増してくるので、火事が起きやすくなります。

玄猪(げんちょ)

最初の亥の日。万病を払ったり、子孫繁栄を祝います。武家では玄猪の餅を、町家 では牡丹餅を食べます。

炉開き(ろびらき)

最初の亥の日。炬燵(こたつ)を用意し、来客に火鉢を出します。

十夜法要(とおやほうよう)

六日から十五日。浄土宗の法要。

御会式(御影供法会)(おえしき(おめいこうほうえ))

八日から十三日。十三日の日蓮上人の命日にちなむ、日蓮宗の法要。堀の内妙法寺 、雑司ヶ谷法明寺、池上本門寺が有名です。

べったら市(べったらいち)

十九日。大伝馬町で開かれる市。はじめは夷大黒像、打ち出の小槌、切り山椒など を売りましたが、後になぜか浅漬け大根を売る市になりました。

勧進相撲(かんじんずもう)

下旬。両国回向院境内で行われる大相撲の冬場所です。晴天十日が一場所でした。

恵比寿講(えびすこう)

商家の福の神の祭り。一月と十月の年二度行われますが、十月の方が盛大です。

紅葉見物(こうようけんぶつ)

下旬から。紅葉の名所は下谷正燈寺、品川海安寺、上野山内、王子瀧野川、目黒不 動、根津権現など。


十一月 --- 霜月 仲冬 神帰月 雪待月

十一月はもう冬。雪が降り、雪見の季節となります。

酉の市(とりのいち)

酉の日。各所の大鳥(鷲)神社で催される市。熊手を売る店が立ち並び、参詣人で ごった返します。この熊手には、来年の運を自分の家に「かきこむ」という意味が あります。一番賑わうのは、浅草新吉原の裏の田圃(たんぼ)に ある葛西花又村の大鳥大明神 。

大歌舞伎顔見世(おおかぶきかおみせ)

一日。一年単位の江戸の歌舞伎興行にあって、十一月の「顔見世」はそのお披露目 に当たります。

御火焚きの祈祷(おんびたきのきとう)

七日、八日。三崎稲荷大明神で行われます。ここはあたりに武家屋敷しかないので 、とても閑静な場所でした。

ふいご祭り(ふいごまつり)

八日。刀鍛冶、鍛冶屋、鋳物屋、飾り職など、 「ふいご」を扱う者が稲荷を祭る日。朝早くに、みかんをまきます。

七五三(産土詣で)(しちごさん(うぶすなもうで))

十五日。産土神(うぶすながみ)、つまり氏神様に参詣し、女子七歳の帯解、男子 五歳の袴着、男女三歳の髪置きの祝いをします。神官は連れられてきた子に土器の 盃で御酒を飲ませ、幣(にぎて)で身を浄めます。

新吉原秋葉祭(しんよしわらあきばさい)

十七日、十八日。吉原の真ん中の灯篭に、秋葉山大権現からもらってきた種火を移 し、定灯明をともしました。

一向宗寺院報恩講(いっこうしゅうじいんほうおんこう)

二十二日から二十八日。浄土真宗の親鸞上人の忌日です。

冬至(とうじ)

一年中で昼が一番短くて、夜が最も長い日。無病息災、健康長寿を願って、冷酒を 飲み、柚子湯に入り、こんにゃく、かぼちゃ、粥などを食べて体を温めました。

雪見(ゆきみ)

雪見の名所としては、浅草の待乳山、上野山内、日暮里浄光寺(雪見寺)、上野 の不忍池、道潅山、愛宕山、三囲などが有名です。


十二月 --- 師走 季冬 年積月 春待月

年末は今も昔も忙しいものです。新年の準備に大わらわとなります。今月中にや らなければならないことが多すぎて、日が短すぎると誰もが思っています。

事始め(ことはじめ)

八日。正月の準備をはじめる日です。そのしるしに味噌汁を作ることになっていま す。また、町人の家では、目篭を竹竿にの先に取り付け、屋根の上くらいに高く掲 げました。

煤払い(すすはらい)

十三日。一年たまった汚れを落とす大掃除。各家とも大げさな格好をして取り組む ことになっています。

歳の市(としのいち)

中旬、下旬。年始の準備のための品を売る市です。十四日の深川八幡を皮切りに、 寺社を転々と場所を変えて立ちます。もっとも賑やかなのは、十七日の浅草観音の 市。羽子板を売る店が多かったので、俗に羽子板市と呼ばれました。なお、十軒店 でも二十五日から元旦まで羽子板市が開かれ、こちらも賑わいました。

蓑市(みのいち)

十九日。浅草の雷門内外に露店が出て、田舎からやってきた農家の人たちが蓑を売 りました。

捨て市(すていち)

大晦日。大晦日に開く市では、捨て値の大安売りをしていました。

節分会(せつぶんえ)

立春の前日。ときには年を越してから行われることもあります。柊の小枝と豆の 枯茎へ塩イワシを刺したものを、玄関や窓に差し挟みます。豆まきは年男の役目で、 神前、仏壇に供えてから家中にまいて厄払いをします。寺院では、豆まきをした後 、節分祈祷の守札をまきます。

盆暮勘定(ぼんくれかんじょう)

江戸の商取引は年一、二回まとめて払う掛け売りでした。 年末はその清算月なので、貸し方も借り方も一大事。 大晦日の深夜まで、借金取り立ての攻防が続きます。


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